2011年06月05日

日本版アーツカウンシル案への意見募集について

冒頭から横着するが、fringe.jpから引用する(http://fringe.jp/blog/archives/2011/06/04135102.html)。
日本芸術文化振興会が、「文化芸術活動への助成に係る新たな審査・評価等の仕組みの在り方について(報告書案)」に関する意見募集を6月8日締切で実施中だ。今年度から音楽・舞踊分野で試行が始まる日本版アーツカウンシル案へのパブリックコメントである。
アートマネジメントは一つの専門分野で、正直言って私にはよくわからないのだが、多少コメントすべきことがあるので書き付けておく。ただし、雑駁な理解に基づいたものにすぎないことをお断りしておく。

この件について、ネット上でさまざまな関係者によるいろいろな意見を見かけるが、芸術文化振興基金のWebサイト(http://www.ntj.jac.go.jp/kikin/info.html)にある、「文化芸術活動への助成に係る審査・評価に関する調査研究会」過去8回分の議事次第および配付資料を全部読んだのか疑問に思うものが多い。上記報告書案は、過去8回分の議事内容を総花的にまとめたもののようなので、これらを読んでおくと理解が早い。特に第一回の資料が重要。その末尾についている高萩宏氏の提言がわかりやすい。第二回以降のヒアリングも興味深いので、斜め読み程度にでも見ておくとよい。

今回の改革のポイントはいろいろあるようだが、なんと言っても目玉は日本版アーツカウンシル制度に向けた、プログラムディレクター(PD)、プログラムオフィサー(PO)の導入だろう(さらに、それらを補佐する「調査員」という職もある)。その業務内容が資料からは今一つよくわからないのだが、「PDやPO等には、現場の実情を十分把握しており、アートマネジメント等の経験もある、芸術家や文化芸術団体関係者、文化政策等の研究者や学識経験者等の専門家が望ましいと考えられる」とされていることから逆算すればある程度の目星はつく。

要するに、従来の助成金審査委員(部会委員、専門委員)は芸術家と批評家だったところに、制作系の実務者や文化助成の専門家の意見を取り入れようということらしい。実際の金の使い方がわかる人材を入れることによって、近年報道されたような助成金の不正使用を防いだり、より実効性のある助成につなげたりしようというのだろう。これに合わせて、公演赤字の穴埋め的な助成という性格も見直されると聞く。赤字かどうかなどという外形的な問題にとどまらない、一歩踏み込んだ助成をしようとすれば、公演制作やお金の使い方の実態を知悉した人材が必要になるわけだ。これはいいことだと思う。

ただし、助成対象の選定という点では、PDやPOの導入が改善要因にならないことは明らかだ。この人たちの場合、対象分野の公演を幅広く見ていないため、応募団体の活動実績の質的評価ができないという問題があるからだ。PDやPOは審査委員に対する助言機能のみが求められ、決定権はないとされているが、私としては、上記の点からそれが当然と思う。

もっとも、PDやPOが採用後に対象分野の公演を幅広く見て、将来的に対象の選定に参画するのは望ましいことだろう。ただ、現状で想定されている週2回の非常勤勤務程度で対象分野の公演を幅広く見ることが可能かどうかは疑問だ。舞踊の場合で言うと、バレエとコンテンポラリーダンスは分担となるもようだが、バレエなら年間80〜100本(外来を含まないが地域の公演がある)、コンテンポラリーなら年間120本くらい見れば、だいたい対象分野の公演を幅広く見たことになると思う。批評家を含むハードなシアターゴウアーからすればこの数字は超楽勝なのだが、それを週2日に収めるのは難しそうだ。舞踊の場合、(演劇と違って)一日3本のハシゴは通常無理で、日曜ソワレがほとんどないことを考えると、3本/週が上限であり(土曜日に2本、他のいずれかの曜日に1本)、年間の観劇可能本数は156本がほぼ理論的最大値ということになる。地域の公演を見に行くとハシゴが難しくなるし、そもそもPDやPOには本来の業務(助成対象公演の現地調査=観劇含む)もあるのだから、その中で上記の数を見るのはまず無理だろう。観劇については週2日に収めなくてもよいという考え方もあるだろうがその場合、その分は無給(どころか、職務範囲外なのでチケット代や経費は持ち出し)ということになるが、それでいいのか。やはり、少なくともPDやPOが非常勤のうちは、助言機能にとどめるほかないと思われる。

頭書の報告書案でも、特に地域の公演について、審査委員がろくに見に来ないで、助成に応募しても落とされる点が、問題として挙げられているが、それはPDやPOとは別の工夫により解決を図るべきだと思う。

なお、PD、PO、および調査員の公募はかなり早期に開始されるかもしれない。なんと言っても、この8月中には「事業の実績等の調査分析/助成の基本的な方向性案/審査基準案」を作成し、9月上旬開催の専門委員会に提出しなければならないのだ。パブリックコメントの〆切は6月8日だが、それから一週間たったくらいでいきなり募集が開始されても慌てないよう、志望者は心の準備をしておいてほしい。というか、ある程度目星を付けた候補者に対して基金側からすでに内々に応募の勧誘や打診がされていても私は驚かない。もしそうなら、一般の応募者はそれと競わなければならないのだから、早めに準備を進める必要がある。


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2011年06月15日

オールニッポンバレエガラコンサート2011制作発表

8月15日にメルパルクホールで催される「オールニッポンバレエガラコンサート2011」の制作発表が、6月8日11:00から、日仏文化協会汐留ホールで開かれた。

だいたいのところはチャコットDance Cube(http://www.chacott-jp.com/magazine/news/announce/-2011-1.html)などで既報のとおりなので、ここでは、独自取材の結果あきらかになったことを箇条書きにしておく。

  • 今回を第一回として、来年以降も継続していけたらいいな、とのこと
  • 酒井はなは、『瀕死の白鳥』のほか、夫の島地保武と、島地振付のデュオを踊る
  • 橘るみは創作を踊る予定
  • 上演時間は2時間半程度を予定
今のところ、Webで見られる画像は色がひどいものばかりなので、もう少し色がマトモな画像や修正した画像も付けておこう(クリックで拡大)。
今回の震災では精神的に大きく動揺したダンサーが多かったようだが、ここに集った者にとっては、このような形で貢献できることが、喜びであり、心理的な救いでもあったらしい。たとえば青木尚哉は、かつてないほど死を身近に感じていたところにこの公演の話を聞いて、「やれることが見つかったと思った」とのこと。松崎えりは、この公演が踊り手の喜びと見る側の喜びが出会う場所になればいいと言う。
 
この公演は単なる義援金集めと言うより、もっと、祈りや思いがこめられている。そういう意味では、予定されているインターネット中継にとどまらず、被災地でも実際に上演できればいい。その思いは制作サイドも同じなのだが、いまのところそこまでは話が進んでいないようだ。現地で上演と言っても、劇場の復旧など後回しになるだろうからなかなか難しい。しかし避難所生活でストレスがたまっているとも聞くし、なんとかならないかな。
 
参考として、昨年10月に東京バレエ団が『ジゼル』を上演した石巻市民会館の、3月22日時点の画像を載せておく(「石巻の震災被害」参照)。
一部で「津波に呑まれた」などと喧伝されたが、実状はこのとおり。非常時には特に、虚偽、誇大表現、デマには注意したいものだ。この画像を見る限り躯体は大丈夫そうだが、内装と機構はどうなっているのだろうか。天井が崩落したミューザ川崎の施工者である清水建設あたりがワッと行って復旧させれば、よい罪滅ぼしになるだろうが、もともと改修の計画があった建物で、余震に耐えられるかどうかも要確認。
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2011年06月16日

2011年6月前半の観劇記

2011/06/04 (土) 14:00 新国立劇場小劇場
ダンスカンパニーDeux『山名たみえダンスフレグランス2011』
若いダンサーほどゲンダイブヨウのお約束に従った動きをするのはなぜなのか。山名の自作ソロ作品では、形としてはそういうお約束があっても、動きはその場で自然発生している。ためらう動きなどがなかなか面白かった。

2011/06/10 (金) 19:30 KAAT神奈川芸術劇場
エルマン・ディエフュイス『イエス・キリストによると』
男女が(ときには日本人エキストラの助けを借りて)泰西名画の宗教画の形をしてみせるのだが、これがけっこうおもしろい。一つには宗教画パロディということのおもしろさがあり、数々の宗教画やイコノロジーにやたらに詳しければさらに楽しめたかも。もっとも、そんな観客は世界的にもごく少数派だろう。
宗教画に描かれる姿勢が妙に不自然であることは常々疑問だった。ここではそれもからかいの対象になっているが、それにとどまらず、そのポーズが西洋人の体躯で実現されることで、コントラポストや蛇状曲線が実際にはどのように実施されるのかを検分できるおもしろさがあった。さらに、ポーズからポーズへの移行の動きは、ギリシャ彫刻的に仮想された重心や関節の静的な取り扱いを、実時間内の動きに敷衍したときに、何が立ち現れるかを示していた。そういう意味で、これはダンス基礎論、つまりダンスの基礎を理論付ける考察であり、ダンスの本質の現前に(わずかながら)立ち会える貴重な時間だった。
構成はキリストの誕生から復活までを追っていくもので、最後は、一人横たえられたキリストがやがてむっくり起き上がり、光の方へ歩み去るところで終わるのだが、せっかくならその後、街道で弟子たちとすれ違って弟子たちが驚愕するところまでやってほしかった。その場面がおもしろそうというだけではない。死者が生き返るという奇跡が重要なのではなく、その結果が日常化される(弟子がそれを自分にとっての真実として受け入れる)ことこそがキリスト教の端緒だからだ。だから、それがないとキリストがキリストっぽくならない。「人はキリストに生まれるのではない。キリストになるのだ」とボーヴォワールも言っている(わけない)。

2011/06/11 (土) 15:00 ゆうぽうと
牧阿佐美バレエ団『白鳥の湖』
青山季可/京當侑一籠
気のせいかもしれないが、踊り方が変わったような気がする。牧の踊り方というのは一種独特で、アラベスクが特に特徴的。外に出てしまった上野水香や橘るみのアラベスクがわかりやすいが、背中をまっすぐ立てて脚を強く引き上げる結果、開いたY字のようになり、腰が開き気味になる。ところがところが、今回の牧はみな腰がしっかり入り、背中を上の方から反っている。脚もおおむね水平までしか上げない。また、洋の東西を問わず、足首をこねるパドブレが多く見られるが、青山はロシア風に脚を膝から使ってパドブレしていた。
急に大きく変わるわけはないので、気のせいか、席位置による角度のせいなのかもしれないが、それはともかく、腰が入るとアラベスクに三次元的な広がりが出るので、脚を引かなくてもふくらみが出て、かえって脚が長く見える。吉岡まな美など脚が何メートルあるのかと思った。
青山季可は昔から天才少女の名をほしいままにしてきた人だが、その技術力の高さが今回ほど芸術性に結びついたことはないと思う。アティテュードからそのまま回って軸がぶれないので実にきれい。ポワントに乗ってもまったく危なげないので、安心してフォルムを嘆賞できる。グランフエッテも大きく滑らかで、まったく無理がない。演劇的には「なんとなくよかった」くらいの感想しかないが、それはあえて強い個性を打ち出そうとする邪心がなかったことを意味すると思う。技術的にノーミスというわけではないが、そんなことどうでもいい。おそらくそれは避けられないトレードオフだろう。このまま行けば、自然に表現が深みを増していくと思う。文化庁の在外派遣研修制度でロイヤルに行っていた伊藤友季子がもうすぐ帰ってくるが、現状では青山が第一キャストにふさわしいのではないか。
それにしてもこのバレエ団の若手はすごいレベル。視線を吸い寄せる茂田絵美子の魔的なスピード感覚、難しいことをあまりにも平易にこなす坂本春香、脚捌きが清潔で軸の細い中家正博。久保茉莉恵はパ・ド・トロワを清楚に抑え目に踊っていたが、そういう風に踊るとこの人にも魅力があるなと思った。いまのところ、管見ではやはり茂田が一番手。坂本は重要な役だとパッとしない。考えなくても何でもできてしまうと、いざ考えなきゃいけないときにうまくいかないということなのかな。中家は、ワガノワの公演で見たときには、王子タイプのダンサーには見えなかったのだけど、もうそれほど待たずに王子役ができそう。
京当もサポートがスムーズになってよかったのだけれど、青山は、やはり最近サポートも含めて進境著しい菊地研との組合せで見たい。

2011/06/12 (日) 15:00 STスポット
未来.Co『The Trip to Aurora』
吾妻橋系に支持されてきた女子3人組グループPINKのメンバーで、文化庁の在外派遣研修制度でベルリンに2年行っていた磯島未来が立ち上げた、女子4人のユニットの旗揚げ公演。
どんなことをやるのかなと思ったが、スカートに中ヒールで出てきて、歩いては止まり、方向を変えてそれを繰り返すとか、突然ハデにぶっ倒れるとか、「え? いまどき?」てな感じの80分。新しけりゃいいというわけでもないが、ある風潮の限界が反省されて新しいものが出てくるんだから、昔と同じようなことをするんなら、なんらかの思考の跡が見えなきゃいけない。その点、今回やったことって全部、ベルリンに行く前の磯島にも既にあった要素なんじゃないの。そうすると国費で2年間ベルリンに行っていた意味があるのか疑問になってくる。
もっとも、在外派遣に採用されるかどうかには運も大きく作用する。たまたま2年派遣の枠に応募した人が少なければ、予算を消化するために誰でも通すしかない。逆に言えば、予算を消化しただけでも、未消化による予算削減を未然に防ぐ功績があったと言える(まあそこに納税者の視点はないのだけど)。だから、磯島が700万円貰って2年間外国で生活が保障されたのは、単にラッキーだっただけで、誰が悪いわけでもない。
奈良美智の描く不機嫌な少女のような雰囲気を持つ磯島は、もともと内面に何かを持っている人だったと思う。ただ、それが何なのか、自身でもつかみあぐねていた。それをベルリンで自分の中から引っ張り出してきてほしかったわけだが、最悪、ベルリンになくして来たのでなければよい。
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2011年06月18日

東京バレエ団 『白鳥の湖』

2011/6/17 Fri. 18:30 ゆうぽうと
上野水香/マシュー・ゴールディング
井田勝大指揮 東京シティ・フィル

井田の指揮、速いところはまあ普通だが、遅いところは止まりそうに遅い。これほど遅いのを聞くのはかなり久しぶり。これではダンサーが音を手元に持ちきれず、どうしても合わせるだけになる。その結果、内容がないのに時間ばかりかかる、退屈きわまりない上演になった。この速度を井田が選択したのなら井田の音楽性に疑問符がつくし、リクエストされたのなら「音楽が壊れるから無理」と言うべきだった。いずれにしろ、井田の評価を傷つける演奏。シティ・フィルが、そんな指揮にめげず、音を存分に響かせていたのが救い。
もっとも、音が遅すぎたことでわかったこともあった。振付が全然ダメということ。特に群舞、音が鳴っているのに踊らないで待っている箇所が多すぎる。同じフレーズの繰り返しで、一度目は踊って二度目は待っているなど、どう考えてもおかしい。この版は何度も見ているが、主に衣装の古さに気を取られ、音楽と振りがこれほど不一致なことを今回ほど深刻に考えなかった。なぜだろうなぜかしら。
作品を刷新するにはちょうどいい時期のような気もするが、どういう版にするのがいいのか。今さらブルメイステル版でもあるまいし、特に決定版というのはないんだから、どうせなら日本人に作ってもらえばよさそうだが、いい名前が思い浮かばない…。いっそヌレエフ版とかどうかね。現存の人物なら、ウケ狙いでバンジャマン・ミルピエ、真面目に考えればラトマンスキーに頼むのがいいのではないか。
上野水香は、技術的には大分よくなった。アラベスクもいいし、上体もかなりよく動く。オデットの場合、顔の表情で芝居するわけにいかないので、上体を使うしかない。それくらいよくできているのに、なぜか芝居がこちらに飛んでこず、教わったことをなぞっているだけの、コンクール出場者のような印象。どうしてかな、と考えていてふと思い当たったのは、脚を動かすときのスピードが一種類しかない(しかも遅い)こと。だから、あるきっかけで自動的に動きが実施されるだけのような感じになる。オデットを受け身なキャラクターにしたくてそうしているのならそれもわからなくはないが、いくら受け身でも、ロボットじゃないんだから、スピードが一種類ってこたないんじゃないの。オディールはそれに比べればクイックなアクセントが入って生き生きしていたが、メリハリという意味ではまだまだ不足。とりあえずスピードのダイナミック・レンジを広げる必要がありそう。
そういうことに気づいたのは、一つにはマシューが素晴らしかったせいもある。黒鳥パ・ド・ドゥでオディールを持ち上げて動かす箇所、実に音楽的に緩急をつけ、水香が2倍くらいよく見えた。ヴァリエーションも、はつらつと高く跳んで高揚を示すだけでなく、音の取り方が変化に富んで、内心の歓喜がよく見えた。『白鳥の湖』の王子ヴァリエーションで「こりゃすごい」と思うことってまずない。下手するとマラーホフ以来かもしれない。
ともあれ、水香の完成形が見えてきたことは大きな収穫。完成するなんて思ってなかったからね。ただ、やはりどうしても芸術性が不安なので、ここまで来ても完成せずに終わる可能性もかなりあるが、まあ不可能ではないというところまでは来た。
井田はもっと不安だなー。オケの統率能力はけっこうあると思うんだけどね。今のバレエ指揮はほとんど福田一雄と堤俊作で回しているが、福田は高齢、堤は健康不安があるので、井田がモノにならないと大変なことになる。
他のダンサーで特に出来がいいという人は見当たらなかったが、佐伯知香は脚を上げるときに骨盤を取られないのがいつ見てもいい。骨盤を抑えて脚を上げることができると、脚が予想外のところに上がって、とてもハッとするのだ。今、こういう人はほとんどいない。水香は脚が長いくせに、膝が上がるより先に骨盤が傾くので、脚の行き先がほぼ見えてしまい、パが始まった途端に終わってしまうような感じになる。含みもない。
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2011年06月19日

NBAバレエ団 『トゥールビヨン公演』

2011/6/18 Sat. 18:30 メルパルクホール
 
ワフタング・チャブキアーニ=ガリーナ・サムソワ『ラウレンシア』パ・ド・シス
安達哲治『四季』
フュードル・ロプホフ『ダンス・シンフォニー』

『ラウレンシア』パ・ド・シスには、クレインという人の数曲とミンクスの耳慣れた数曲が使われている。導入とコーダの間に6人各々のヴァリエーションが入る。女性3人(19日とは別キャスト)それぞれの美点を楽しむ。男性は大森康正がいい。伸びやかだし、恐ろしく軸がぶれない。どこにこんな人がいたのかと思う。ハーフトウがもう少し高いといいな。外国人男性2人はいささかいかがなものかという出来。
新作の安達哲治『四季』が楽しめた。舞台を染める照明の色味の美しいこと!現代の照明技術の最先端。間接照明風に、夕暮れっぽい色のグラデーションとかできてしまう。衣装も色がきれいなのがいっぱい。こんな色で衣装を作れるのかと思う。ターコイズブルーのチュチュなんてめまいがするほどきれい。
作品は、グラズノフを使って、冬から秋までの4景をたっぷり踊っていくシンフォニック・バレエ。ものすごい人数を使うので、いいダンサーが多い時期でないと上演できないだろう。ソリストもたくさん必要なので、バレエ団の士気が上がりそう。振付はテンポよく様々な動きを盛り込んでいるが、特に変わったことをするわけではないので、ダンサーがよく踊らないとつまらなく見えるかもしれない。今回は随所にうまいソリストがいて楽しめたが、全体に、アンサンブルにもう少ししどころが増えるといい。いつもあまりいい役が来ない鷹栖千香に久しぶりに目立つ役がついたが、この人は厚木三杏と同じタイプで、技術がどうこうと言うより表現力がすごい。考え抜いた音取りを淡々と実現する。手首カクカク、指が開き気味なのがもったいない。
1922年初演の『ダンス・シンフォニー』(*)は復刻以来2回目の上演だが、私は初見。初めてのシンフォニック・バレエということだが、むしろシンフォニック・バレエの先駆的形態と言った方がいいかも。完全な抽象作品ではない。幾何学的形態もさほど出てこない。衣装は東欧の農民の晴れ着?みたいな感じで、振りもけっこう民俗的。音に忠実に振り付けているが、音楽が目指すものを表現しているわけではなく、音楽に従属している印象。
典雅なベートーヴェンの交響曲4番と民俗的な作りをどう調和させるかが問題で、今のところかなりあっさり踊っているが、それでいいのかよくわからない。プログラムに載っている初演時のイラスト(「人形の精」パ・ド・トロワを思わせる)のように、もっとあざとく表出的なフォルムにした方が、作品としては立つだろうが、原意図はどうだったのか…。時代背景的には、バレエ・リュスや革命を経て、民族性を再評価する方向ではあったろう。翌1923年にはニジンスカの『結婚』がフランスで発表されている。むろんソ連国内では上演されなかったと思うが、時代性は共通。後半に出てくる、生き生きしたせむし男たちが最も印象的だった。

(*)「オックスフォード・バレエ・ダンス事典」には『舞踊交響楽』と記載。NBAによる2000年の復刻以後に訳された本なんだから、『ダンス・シンフォニー』という訳をまったく無視するのはどうかと思う。読者が引きにくいではないか。
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