2011年11月06日

AAPA『足跡』

AAPA『足跡』
黄金町かいだん広場
2011/11/5 Sat. 18:00

AAPAは映像、音響、美術、台詞、動きなどが混然とした不思議な空間を作るグループだと思っていたが、今は転換期らしく、今回の作品では永井美里が振り付けたダンスが前面に出ていた。
会場はガード下ながら船の甲板のような木の床の空間で、和紙のようなシートで外界と区切られている。観客は靴を脱いで上がる。ペットボトルやコップ、クッション、Zライトなどが散乱していて、観客は好きなところに座る。こうしたことから、一応屋外ではあるが、室内という感じが強かった。
ところがそこでいきなりダンスダンスした踊りが始まる。6畳間的な日常空間にエスタブリッシュされたダンスは不似合いで、「あれ?」と思った。しかも途中で外歩き用の服を着て靴を履いたダンサーも加わる。そっちは動きもドタンバタンとうるさく、室内にゾンビが闖入してきたかのようだった。一方、靴を履いていない永井ともう一人は、少し長さのあるシークエンスをユニゾンで繰り返す。室内というイメージが強いので、この部屋に思いを残した地縛霊(部屋の精と言ってもいい)の動きが無限再生されているような感じになる。
終盤に永井が一人で踊るのだが、そのときにはペットボトルなどは片付けられ、日常性が薄まっている。永井も一枚脱いで部屋着のような衣装になっていて、イメージが収斂した感じ。何度か永井自身が「私の顔が見えるところに来てください」と繰り返すのは、物理的に観客を正面に誘導すると同時に、観客との親密性を高める効果があった。もっとはっきり言うと、(私の場合ということだが)ただ自己完結して無限再生されるだけでは不満で、後の住人に伝えたいことがあるんだな、地縛霊なんだなあという感じを受けた。
この地縛霊というイメージは、なんとなくそう思っただけだが、AAPAのサイト・スペシフィックな作品傾向となんらかつながるのかもしれない。≪ゲニウス・ロキ≫みたいな概念を仲立ちにして。
踊りについて言えば、振付よりも永井個人の魅力が大きい。他のダンサーが踊っていても、それを見てどうとはあまり思わない。逆に言うと、そういう一種の無色透明さが、AAPA作品の中に踊りが占める位置という点で、うまく働いていたのだなと思う。
空間全体を構成する作風としては、AAPAの上本竜平のほか、ボヴェ太郎や酒井幸菜の名が挙がるだろう(もう少し広く見ると、藤本隆行、梅田宏明らも)。ボヴェや酒井は神奈川総合高校出身で、この高校がそういう校風なのかと思っていたが、永井美里は同校出身でもダンス指向が強い。やはり同校出身の木村愛子もダンス指向だが、それは桜美林出身だからかと思っていた。同じカナソウでもけっこういろいろなんだなあと興味深かった。いや、もしかすると永井も、ボヴェみたいに全面ダンスでありながら全面美術作品、みたいな方を目指しているのかも。もしそうなら、踊りの無色透明さをもっと突き詰めていく方向になるのかな。


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2011年11月19日

日本バレエ協会 関東支部神奈川ブロック公演の批評記事

思うところがあって、オン★ステージ新聞のために書いた今年の日本バレエ協会関東支部神奈川ブロック公演の舞台評を載せておきます。オン★ステージ新聞の場合、買い取り契約ではないので著作権は執筆者保有です(と言っても当然、掲載紙に対してある程度の配慮は必要でしょうが、これは掲載後半年以上経過しているからいいでしょう)。言うまでもなく、転載は著作権法で禁じられています。引用の場合、原典を明記する必要がありますが、初出紙と刊号を記載するのが一般的な習慣です。これはオン★ステージ新聞を購読していなくても、たとえば東京文化会館5階の資料室で簡単に確認できます。内容についても、掲載されたものが正本ですから、異同がないか確かめてください。なお、見出しは編集部でつけるので、現在記憶していません。
 日本バレエ協会の関東支部神奈川ブロックは発足三十周年。二十八回目の自主公演では新井雅子作品と『ジゼル』全幕が上演された。
 新井作品『クリスタル・シンフォニー』の原形は古いが現在の規模になったのは〇五年とのこと。バランシン『シンフォニー・イン・C』と同じビゼー『交響曲第一番』の一、二、四楽章を使うシンフォニック・バレエだ。中心のカップルは大滝ようとリーガン・ゾウで、四組のペアと十六人のアンサンブルが周囲を彩る。
 この種の作品ではフレージングが重要だ。小節ごとにブツ切りにすると体操じみてくる。新井はフレーズを長く取って存分にダンサーの身体を歌わせ、その中で、たとえば音をつなげて脚をゆっくり下ろしては、すかさず細かく踏みかえてみせる。優れた音楽解釈だ。ソリストには、絶句するほど高度な技が目立たぬところに用意されてもいる。アンサンブルにあまり凝れないのが少し残念。
 今回の『ジゼル』はラヴロフスキー版に基づいて木村公香が演出再振付した。冒頭、従者は最初から小屋で待っており、二幕のミルタは中央の木の陰から現れてパドブレで前方に進んでくる。
 主役は木村の娘の斎藤友佳理と法村圭緒。もう四十路の斎藤だが、年齢を感じさせるのはバランスを短めにしていることくらい。筆のように柔らかい脚づかい、不意をつく音取り、床に吸い付く足裏などに抗いようもなく魅了される。ジゼルが当たり役と言われる所以だ。やはり柔らかい踊りの法村とはよい組み合わせ。ゆるりと構えて丁寧にサポートする法村には安心感がある。
 ただ、どうしても経験が勝るか、斎藤のジゼルは起きることを事前にすべて知っているようにも見える。二幕との対比を考えると、一幕では意想外の展開にいちいち新鮮に反応してほしいところ。
 演奏はもはやアマチュアとは思えない俊友会管弦楽団、指揮は堤俊作。だがこの日は何でもないところで演奏が乱れるほど堤の体調が悪く、委細かまわず先に進めるばかり。二幕、登場したアルブレヒトにジゼルが寄り添う場面も、通常そっと置く二つの弱拍までリズミカルにしっかり弾くので、はかなげなジゼルの踊りがちょっと心楽しくなってしまう。パ・ド・ドゥでも踊り手は速いテンポについていくことを優先せざるを得ず、ドラマは後景に退いた。
 ヒラリオンは冨川祐樹、ミルタは樋口ゆりが、いずれもきちんと踊りきった。ただもう少し解釈なり個性なりを打ち出せば、舞台全体にさらに貢献しただろう。
(一月十六日 神奈川県民ホール)
演奏については、打ち上げでも、堤さんがいる前でスピーチの話題にした人がいたと聞いています。健康問題は誰にもどうしようもないことなので、とにかく以前のような健康を取り戻して欲しいと祈るばかりです。
なお、このように過去に書いた記事をいつでも見られるようにしておきたい気持ちはあるのですが、検索性を考えるとブログ形態にするのは得策と思えず、悩んでいるところです。
posted by cadeau at 09:54| Comment(0) | TrackBack(0) | バレエ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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