2012年10月12日

マーク・モリスの“Drink to Me Only With Thine Eyes”について

マーク・モリスの“Drink to Me Only With Thine Eyes”は1988年にABTで初演され、しばらくABTのレパートリーから外れていたが、2006年に復活上演された。そのとき、ある記事の関連でいろいろ調べたのだが、このタイトルはBen Jonsonという人が1616年に書いた“To Celia”という詩に基づくもので、その詩には18世紀に曲がつけられ、英国民謡として現代に伝わっている。モリス作品でその民謡を生かしたかどうかよくわからないが、とにかくヴァージル・トムソンという人の曲が使われた。

結局そのときは、モリス作品のタイトルを『ただ瞳にて杯をかわせ』と訳した。そう訳した根拠は詩の冒頭部分の内容。以下に原文と私訳を挙げておく。

Drink to me only with thine eyes,
And I will pledge with mine;
Or leave a kiss within the cup
And I'll not ask for wine.
The thirst that from the soul doth rise
Doth ask a drink divine;
But might I of Jove's nectar sip,
I would not change for thine.

ただ瞳でのみ私に杯を捧げてください、杯を掲げることなく…
私も同じようにします
あるいは杯の内側に口づけを残してください
もうその杯にワインは注ぎません
魂からの渇きには神々の酒がいります
ですがユピテルのネクタルをすすることができるとしても
あなたが捧げてくれる酒に代えようとは思いません

蛇足ながら付け加えておくが、乾杯とはそもそも何か。食卓に着いているときの、少し遠くにいる人への挨拶、というのが正解だ。近くにいる人とは言葉で挨拶すればいい。正式の晩餐では席を立って挨拶しに行くことができないから、杯を捧げるわけ。言ってみればウインクをずっと正式にしたようなものだ。具体的には、右手でグラスをちょいと持ち上げて互いに示し、互いに目を合わせ、しかる後に一口飲んで、もう一度互いにグラスを示すという手順になる。「右手で」というのは、食卓では右側にグラスが置かれるから。さらに蛇足だが、まともな給仕は、飲み物を客の右からサーブし、食べ物を左からサーブする。これは、食べ物を右からサーブすると、誰かから杯を捧げられたときに、乾杯を受ける邪魔になるからだ。

さて、そんなことを思いながら上の詩を見ると「秘めた恋」の詩だということがわかる。杯を掲げると関係がばれる心配があるので、ちょっと視線でチラ見しあうだけにしましょうね、目と目で通じ合う、そういう仲になりたいの(←工藤静香か!)、あなたが口をつけた杯、一生大切にします、ワインなんか注ぎませんとも…(←やくみつるか!)。なんか中学生みたいだが、まだ中世の残り香が濃い時代だったんでしょうね。
 
これに限らず、作品のタイトルをどう訳すかは難しい。うまい方では、フォーサイスの"The Loss of Small Detail"を『失われた委曲』、"The Vertiginous Thrill of Exactitude"を『精密の不安定なスリル』と訳したのなんかは名訳だなあと思う。後者を専門家の安田静が1999年時点で『目眩のする不正確さのスリル』と訳しているのは不思議(InterCommunication No. 29)。1996年作品なので、当時、もう定訳があったんじゃないか。


posted by cadeau at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 雑情報 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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