2014年11月24日

新国立劇場バレエ団『オーロラの結婚』/『暗やみから解き放たれて』

新国立劇場バレエ団『オーロラの結婚』/『暗やみから解き放たれて』
2014年11月22日 新潟県民会館

たかだか100分の公演(うち休憩25分)を見に何時間もかけて新潟まで行くのもどうかと思ったのだが、東京でジェシカ・ラング『暗やみから解き放たれて』を次に見られるのはどんなに早くとも2016年で、さすがに待ちきれなかった。もっとも、初見でよかった作品も、2回目に見ると案外拍子抜けすることが多いものだが、この作品は初めて見るかのように総毛立つ場面もあり、行った価値は十分にあった。

振付家はいかなる解釈も観客の自由、虚心坦懐に見てほしいと述べているが、ある人の解釈では、311の後、海底に沈んだむくろが起き上がって踊るのだと言う。そう言われると深層の海流にゆらゆらと漂う亡者のようにも見えるし、生者と死者が半端に下りた幕を挟んで同じ振りを踊るようなシーンもある。だがむろんそう決めつけたものでもない。

どクラシックの公演の直後にやるので出来を不安視していたが、特に進むにつれよくなった。最初のシーンのみアラベスク・パンシェなどがややクラシカルすぎる気がした。ラングがどう指示したかにもよるが、行きすぎて境界を越えることがむしろ必要ではないか。届かぬものへの思いがあるように思うので。そういう意味ではあれはパンシェではないのだろうな。脚を上げて上体を下げることがポイントなのではなく、脚を上げることで得られる前向きの力で上体を下から遠くに投げ出すというか。

この新潟県民会館は、普通の意味では間口も奥行も十分なのだが、新国の中劇場の広大な空間がもたらす索漠感まではなく、やや狭く感じる。特に高さがないのが照明効果に影響している。床の黒リノの反射が強すぎ、茫漠とした感じがないし、灯体が近すぎてコントラストがつきすぎではないかと疑う。これには正直、条件の違いと同時に照明家の腕の違いもあると思う。この作品をやるときは腕利きの照明家を帯同すべき。

長さは30分。少し切り詰めているような気もするが気のせいか。広さ的に人数を減らさなければならなかったという説も。見覚えのあるシーンがなかったように思うが、人数が変わったならそのせいかな。しかし現代作品の場合、変えたらちゃんとそう告知しないといかんよ。直前の判断でその余裕がなかったのかな。

浮き輪風の光るチュチュが3人。うち1人のチュチュが機材不調で光らず、切れかけた蛍光灯のようにときおり点滅していた。いかんなー。ちょっとハケたときに履き替えてくるかと思ったが、それもなかった。バックアップがないのか、サイズの問題か。新潟のお客さんはこの1回しか見るチャンスないんだから気の毒だ。

それにしてもあらためていい作品。新国の最大の財産だろう。これは頻繁に上演していいんじゃないの。毎年3月上旬か中旬に『ジゼル』2幕と組み合わせてやるのはどうかね(*)。1日限りでもいい。被災者無料とか、毎年1箇所ずつ被災地を回るとかすると名分が立つかも。あざといけど社会的な存在意義をアピールする機会にもなる。

『オーロラの結婚』は小野絢子/福岡雄大。青い鳥のパ・ド・ドゥは米沢唯/井澤駿。リラは寺田亜沙子。一応イーグリング版どおりにやるのだが、そうするとリラはほとんど出番ない。リラのお付きの6人なんかそれに輪をかけて出番がない。実働5分。こういう場合こそ少し人数減らしていいんじゃないの?リラはともかく、お付きはなくても何とかなるだろ。出番のない奥村と長田も来ていたが、スタンバイなのかな。彼らが替わるとすると青い鳥か主役ペアだろうが、どっちもできる人わんさかいるんじゃないの?特に男性はソリスト以上の全員が両方できるだろ。緊急時なら細かいことは目をつぶれるし、わざわざスタンバイを用意するほどかな…。これも無駄なコストのような気がする。

米沢は今回もプリンシパルらしいフロリナで、3キャストでは一番よかった。長田も技術的にはよかったんだけど華がなくてね…。実はそれを見て長田オーロラを見に行くのをやめたのだった。井澤も華やか。難しい足技をスパスパ決める。主役ペアも言うことなし。小野はいつも初日が弱いが2回目以降はいつも素晴らしい。技術的には危なっかしいところもあるがミスになる前に収拾するのがうまい(よろけそうだから早めに終わっちゃおう、とか)。誤魔化すとも言うが、そのへんが米沢との違いかな。パートナーもうまく使う。もっとも3幕だけだからよく見えるということもあるのかも。

宝石たちの踊り、ゴールドの池田武志は今回も胸のすくような爽快な跳躍を見せたが、この箇所の曲の並びが不自然なのは痛恨。それに男1人女3人なので女性が女性をサポートする箇所があって「日本の教室の発表会か!」と言いたくなる。大御所の某U大先生があるところで「3幕は滅茶苦茶。劇場側にも言ってやった」と公言していて、そこまで滅茶苦茶かなと思ったものだが、たしかにこういうところは問題あるな。しかし細田千晶は踊りがしっかりしてるなあ。三者三様にいいところはあるが、細田はとにかく乱れない。今回の『眠り』を見て一番思ったのは、今まで頼りなかった研修所出身者たちに急に頼りがいが出てきたなあということ。なんでかな。感じ悪いお局的な人がやめたとか?

新潟のキャストでは、王が貝川鐡夫、王妃が佐々木美緒。貝川は背が高いし、いかにも王様らしく茫洋としたところがあって、実に似合う。佐々木は新潟のみのキャストだが、バレエ職人的な感じや違う人格を演じている感じがなく、当たり前の美人みたいな品格があってこれも似合う。イーグリング版の国王夫妻はほぼ何もしないので、「何となく」みたいな人を据えるのがいいよね。

装置は東京と違う。まあ舞台の高さが全然違うんだから違うのはしかたないんだけど、後期ドイツバロックみたいなゴテゴテした多層プロセニアムで、ただでさえ低い空間をさらに低くしていたのが残念。しかしいずれにしても、東京と違うのならそれはアナウンスしないといかんし、クレジットも変えないといけないでしょ。


(*) 以前から言っているように、日本のダンス界に死者を悼む作品がないのは残念至極。『ジゼル』でもいいが、第一次大戦の死者を悼んで作ったマクミランの『グローリア』といっしょにできれば理想的と思う。これは長編でもないのに合唱が必要で(プーランク曲)、日本の民間団体では到底できないから民業を圧迫しないし、合唱団を持つ新国の強みを生かせる。


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2014年11月28日

ボリショイ・バレエ『白鳥の湖』


ボリショイ・バレエ『白鳥の湖』
2014/11/26 13:00開演  Bunkamura オーチャードホール
エカテリーナ・クリサノワ/セミョーン・チュージン/アルテミー・ベリャコフ

最初から最後まで楽しい。『白鳥の湖』と言えば、やる方は一生懸命でもこちらにはおざなりにしか見えなくてうんざりすることがほとんどなのだが、さすがボリショイ。方法論がしっかりしている。

おざなりに見えてしまうのって、主役が自分の内側とばっかり対話している場合じゃないかな。結果、眉間にしわ寄せたりする安易な芝居になってしまう。クリサノワは一切そんなことしない。というか芝居自体ほとんどせず、型どおりにやっている。それがまた、よくできた型なんだ。

出会いの場もグラン・アダージョも、視線が王子から離れる方に向かう時間がほとんどで、顔のつけ方もそれに沿う。それこそがオデットの迷いであり、だからこそ目を合わせるわずかな時間が効果的になる。自分と白鳥たちの運命という、“そこにない”ものの方に思いが漂っていくのがここのポイントなんだなあとつくづく思った。自分の内側を見て「アタシこの王子サマを愛しちゃったのだけどどうしようかしら」などと自問すると、ただのバカップル劇になってしまう。

クリサノワは、余計なことは何もせず、そのかわりとても丁寧に踊る。それを支えるのが帯同しているオケの手堅い演奏。というか、いいオデットを演じるための最大、唯一の条件は演奏がいいことなんじゃないかと正直思った。型を理解して、その効果を最大限にする演奏。音楽としては、(これでも結構速いけど)音楽的効果を考えたらもっと速くてもいいんじゃないかと思うところもあったが、劇的効果は満点。

チュージンにもクリサノワと同じようなよさがあった。この人はボリショイ出身じゃないのに実にボリショイ的な王子。優雅でありながら線が細くはなく、美しさと男らしさが併存している。フィーリンが連れてきただけあって技術的にも端正。トゥール・アン・レールをちゃんと5番から跳ぼうとする人は今や世界的にも非常に珍しい。

3幕のキャラクター・ダンスも、凡百の『白鳥の湖』で退屈する場面の一つなのだが、この版では違う。ふだん退屈するのは、キャラクター・ダンスをちゃんと踊れもしない人たちが真似ごとでやるからで、ボリショイならもともとそういう心配はいらないのだが、この版ではポワントの踊りになっている。と言ってももとの振りも部分的に生きており、ポワントになった分スピーディにできて、魅力的だった。

東京文化会館に比べるとオーチャードの舞台は狭く感じたが、ダンサーたちはまったく狭さを感じさせずに踊っていた。ふだん広大な舞台で踊っているのに、さすが場数を踏んでいるなあ。周りに座っている人なんかは数も少し減らしているかな。踊り方もとてもちゃんとしているが、精度に命を賭けてるというのとは違って、ごく当たり前にちゃんとした踊りをしている。普通にしててもこれくらいできるんだぜ、っていう踊り。すごいよね。人によって踊り方が違うのもボリショイ的。

グリゴローヴィチ2001年版の最大の特色は結末部。オデットが処刑され、王子が何も罰を与えられずにただ孤独に放置されるのが、前回以上に効果的だったように感じた。前回は舞台に倒れてなかったっけ? まあロシアの場合、人によって違うことも多いからな…。

65分+65分に縮めているため、かなり大胆な音楽的処理をしているところ、曲順を変えているところがあるが、不自然さは全然感じない。『白鳥の湖』はかなり綿密な調性計画があると聞くが、それを変えて不自然にならないとは、よくよく考えているのだなあ。

演奏では特にハープがよかった。音量が大きくても小さくても共鳴胴から豊かな音が出てくる。日本のハーピストの演奏は弦がチョイなチョイなと震えてるだけのことが多い(ついでに言えばピアノにもまったく同じことが言える)。
posted by cadeau at 16:49| Comment(0) | TrackBack(0) | バレエ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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