2010年08月22日

青年団+石黒浩研究室 『森の奥』

2010/8/21 Sat. 14:00 愛知芸術文化センター

あいちトリエンナーレのパフォーミング・アーツはロボット演劇で開幕。
人間バージョンを見たことがあるからか、不自由さが目につく。
ロボットには一体ごとに技術者がついて、キッカケに合わせて操作することでひとまとまりの演技が起動し、所定の台詞を所定のタイミングで言う。それはその場で変えられない。テープレコーダーと演技しているようなもので、人間の方は、ロボットの台詞の合間に自分の台詞を入れこんでいくことになる。とにかく台詞がロボットと重なるのを避けなければならない。台詞の間違いなどもってのほか。どうしても一定の速度、一定のタイミングで発声するようになる。それは演技と言うより、アナウンサーがニュースを読んでいるようで、正直、見ていていらついた。超人的な時間感覚を持っていれば、しゃべる速度を変えてもきちんとロボットの台詞のタイミングに合うだろうが、あまりにも危険。結局、ロボットが人間同様に芝居するのでなく、人間がロボット同様に芝居する結果になってしまっている。
特に、今回メインの役の一つをやって、ロボットとのかけ合いが多い能島瑞穂にそういう傾向があった。男性俳優陣はこの問題に気づいているように思ったが、台詞が少ないから対処できるということだろう。
個別の台詞の発声タイミングを操作者が遠隔操作することはもちろん可能だろうが、そうすると操作者が演技していることになってしまって、ロボットを使う意味が一つ減る。人間の俳優の台詞のタイミングを音声センサーで認識してそれに合わせてしゃべることもできるが、客席で変な人がしゃべ(ったり携帯を鳴らしたり?す)ると、それを台詞と誤認する危険がある。それを避けるために声紋認識することも可能だが、予算がないのと、計算量が爆発して難しいらしい(このへんアフタートークの内容を参考にしている)。
それならいっそ、俳優にインカムをつけてロボットの台詞までの残り時間をカウントダウンしたり、操作者がロボットの演技を起動するタイミングで決まったBGMを流すようにしたりすれば、俳優がタイミングを計って演技しやすくなるのではないだろうか。青年団がBGMを使わない劇団だというのが、こんなところで効いてくるとは…。
ロボット研究の立場から見ると大きな一里塚かもしれないし、演出の平田オリザ自身はロボットに細かい演出をつけるのが刺激的だったようだが、純粋に演劇として見ると、成果は大したことないなーという印象。もっとも、この芝居を初めて見る人は、台詞の内容を知ることに関心が集中するので、発話ペースのおかしさはそんなに気にならないかもしれない。そういう意味では、青年団の客が少ない名古屋で上演したのは重要な選択だったのかも。
平田オリザの戯曲は現代口語演劇なので、倒置法や言いよどみ、言いさしが頻出するが、ロボットまでそういう風に発話するのは変なのではないか、と最初は思った。ロボットは英文直訳調のしゃべり方をしそうじゃないですか。ところがアフタートークを聞いていると、人間を真似るくらいのことは、ロボットは平気でできるようになるだろう、と言う。なるほど、人間の不完全な発話を認識・解釈できるのなら、それを真似ることもできる道理だ。


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2009年12月27日

リミニ・プロトコル 『Cargo Tokyo-Yokohama』について

今回のフェスティバル・トーキョーでは、上演作品を対象にした劇評コンペなるものもやっていたのだが、そこで優秀賞に選ばれた堀切克洋の「「本物」はどこにあるのか」に対して、二人の批評人のブログが(一人は明示的に、一人は暗黙裡に)批判している。批評に対する批評が私たちの目に触れることは少ないからそれだけでも珍しい事件だが、ただけなすための批判でなく、議論を深める方向に向かっているので、ここでも紹介しようと思った。
 
再批判は次の二本。
リミニ・プロトコル 『Cargo Tokyo-Yokohama』のヌルさをどう考えるか(ine's daypack)
フェスティバル トーキョー 09秋(ダンスわらしの通信)

堀切克洋という人は表象関係の院生の人らしい。『シアターアーツ』などにも寄稿しているようだ。彼の論旨とその再批判については上記二本の記事を見てもらえればいいから繰り返さない。かんたんにまとめると、社会的な問題を告発し切れていないではないかという堀切に対し、二人はそんなことしてどうなるの、と言っている。

私が感じたことは二つ。一つは、こういうのってまだまだ多いんだな、ということ。
演劇分野の批評は一般的には舞踊の批評よりレベルが高いと思うが、ここで「レベルが高い」と言うのは「優れている」という意味ではない。さまざまな学問的しかけを操って高度な内容を論じるが、あまりに専門的になりすぎ、対象の演目との関係は徐々に薄れて、閉じた世界の中での知的サーカスの様相を呈する、演劇批評にはそういう印象がある。それは「何かの」批評でなく、まず何より「批評」であり、「何かの」という契機はたまさかの導入部、落語の枕のような身分に落とされる。
幸い堀切には(少なくともまだ)そういうところはあまりないが、社会的な問題を告発するのがよい芝居だ、なんてのはそれよりさらに前の時代の考え方だろう。演劇方面ではまだそういうのが多いのかね。ダンス関係では、現代舞踊や新作バレエにそういう考え方がまだまだあるが、だいたい舞踊家なんてのは知的訓練を受けて育っていないから、(主に人からそそのかされて)そういう風にしてできたものは本当に悲惨な出来になる。そしてそれを、生半可に“知的”な人がむやみにほめそやすから、二重に悲惨なことになる。

もう一つは、リミニ・プロトコル『Cargo Tokyo-Yokohama』でそんなことしか感じ取れなかったとしたら堀切のためには残念なことだな、ということ。この“芝居”では、観客は「荷物」としてトラックで運ばれるという設定である。荷物でありながら、みずからを俯瞰的な立場に置き、社会的問題点に目を向けよと? そんな主体性を持つ荷物なんて気持ち悪いでしょ。

私がこの公演で一番感じたのは、いくつかのレベルの不可視性である。
このトラックは片側が透明で、外の風景が見えるようになってはいるが、実は時間の少なからぬ部分、そこにはスクリーンが下りていて、ドライバーや仮想の運輸経路に関する映像やさまざまな情報が写される。つまり外は見えない。
まず、文字どおり、自分がどこを通っているのかわからない。それは外が見えないからわからないということもあるが、外が見えているときにも、見覚えのある風景が一つもなくて、方向すらわからない。通常、都内なら自分がどこをどう通っているかくらいはわかるはずなのに、どこか知らない経路を通って、いつの間にか横浜に来ていた。これが一番びっくりした。
今回の経路のGPSログを取ってくれた人がいるので紹介する(twitterの引用の作法はよくわからないので、これでまずければ指摘してください)。
  • 12/9にリミニ・プロトコルのCARGO TOKYO-YOKOHAMAで運ばれたときのGPSロガーの軌跡をGoolge Mapのマイマップに取り込んでみました。まだこれから乗車される方は見ない方がよいと思います。 http://bit.ly/88waJK posted at 00:36:04
  • 東京には皇居という不可視の中心があるなどと言われているが、皇居は比較的見えやすい施設だ。衛星写真にも地図にもばっちり出ているし、その機能も明快だ。しかし、昔から思っていたことだが、東京の湾岸地域、これは本当に「見えない」。地図を見てもそこが何のためにあるどんな施設なのかわからない。今回は、「社会科見学」的に「それが何なのか」を知ることができただけでなく、荷物として運ばれていくことで、「そこがどこなのか」を身を以て体験できたのが大きかった。おそらく今後も二度と足を踏み入れられない地域だったわけで、こういう機会がなければ、この湾岸地域は私にとって、意味不明な地図上の仮想の地域にとどまっていたことだろう(もともと埋め立て地という「存在しないはずの土地」でもあるのだし)。ある人がある時点にそこに実際に存在したということの重さは、アムンゼンが南極点に到達した事実の偉大さと、実存的なことがらとしてはまったく等価である。こうした認識価値の一変と比較すると、社会的な問題点の告発がどうとかいうのなんてどうでもよくなりませんか?
    また、車内で日本の運輸業の発展に関する年表的な事実や、識者のインタビューが上映されている中で最も気になったのは、政治マターであった。佐川急便事件とか、虚業でないという意味で実業の代表のようなこの業界でも、裏のやり取りが非常に重要ということである。たまたま飛鳥会事件をちょっと調べていたこともあって、これは非常に考えさせられた。なにか不当な目にあったとして、それを表沙汰にして、たとえば司法の場に持ちだして解決するということは、常に得策というわけではない。特に日本のように司法が体制迎合的な場合、裏で手を回すしかないことも多い。表向き非常に単純明快な荷物のやり取りの下部にも、そのような暗渠が控えている、そんな日本の社会構造についても深く考えさせられた。
    荷物の立場に身を置くだけでも、各人各様、いろいろなことを感じ取ることができる。無理やりに「正解」を設定して、それを期待するのは「荷物」の分を超えているし、それで荷物にだけ許された体験を見逃しては元も子もない。
    posted by cadeau at 12:34| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の舞台もの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2009年08月14日

    虚構の劇団『ハッシャ・バイ』

    2009/08/14 (金) 19:30 座・高円寺
    虚構の劇団『ハッシャ・バイ』(作・演出:鴻上尚史)


    いまさら鴻上尚史?と思う人も多いかもしれないし、伝説の第三舞台と比べれば役者の力量もまだ0.5舞台くらいかもしれない。だが戯曲の力とは、年を経て衰えたりするようなものではないのだ、とつくづく思い知らされた。それに役者だって、それほど下手なわけではない。最初の10分を乗り切れば、あとは戯曲の力に乗ってぐいぐい引き込んでくれる。 

    鴻上芝居なので筋は極端に複雑、というか首尾一貫した解釈はおそらく無理だろうし、そうすることに意味もないだろう。いかにも80年代らしい、現実と虚構の無限入れ子構造、それを解きほぐすのでなく、そこに身をゆだねること。 
    鴻上尚史の芝居をそれほどたくさん見たわけではないが、一貫したテーマとして、他人と関わるとはどういうことか、そしてその鏡像として、自分と関わるとはどういうことか、という問題が常にあると思う。カルトに引き込まれた友人の離脱に関わった体験は、やはり生半可じゃない。その結果、鴻上芝居は、社会との関わりの最小単位である「我―汝」の関係(とその周辺)をとことんまで突き詰めることによって、個人の立脚点、社会と関わる際の覚悟、みたいなものに反省を迫る、そういう面があると思う。 
    ダンス関係者のなかには、「日本のダンスは政治や社会に無関心なのがよくない」とかなんとかぬかして、生硬な政治的主張を込めた共産党少年団のような作品をよしとする、思考の止まった人がたまにいる。政治や社会を、ダンスに手軽に取り込めるレトルト食材のように考えているのだろう。そんな手合いに耳を貸すより、この作品を一回見た方が、政治や社会の根本についての思索ははるかに深まる。作品を作る側にいる舞踊関係者は必見。23日まで。
     
    公演情報と当日券については以下のリンクを見てください。
    http://www.thirdstage.com/k/
    posted by cadeau at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の舞台もの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年10月09日

    維新派『呼吸機械』

    2008年10月9日 19:00 滋賀県長浜市 さいかち浜特設劇場
    維新派『呼吸機械』
     
    芝居を上演する前にまず劇場をみずから建設する(さらにその前に自分たちのための飯場を作る)ことで有名な劇団の最新作。
     
    ブラジル移民を描いた前回の『nostalgia』でナラティブな、というか物語性が今までにないくらい前面に出て、パフォーマンス性が後景に退いた維新派だが、今回は最初から最後までパフォーマンス。これを進歩と見るか退化と見るかは諸説あろうが、私はこれこそ維新派の真髄であり、観客が最もおもしろく見られるものと思う。一昨年の『ナツノトビラ』もすごかったが、これも維新派最高傑作の一つと言いたい。
     
    イサク、アベル、カイ(ン)、オルガという名前の4人が主要登場人物で、子供の頃の彼らと大人の彼らに別々の俳優が当てられ、主に子供の頃の彼らにスポットを当てている。男性の人物名は明らかに聖書からの引用だが、前作から20世紀を回顧する三部作が始まっており、今回はポーランドのユダヤ人に焦点が当たっている。しかしストーリーを丹念に追うと言うよりは、大阪弁ラップにのせてパフォーマンスを次から次へと連ねる、以前のヂャンヂャンオペラの技法に戻った感がある。内橋和久の音楽は、今回は変拍子もあまり見られず、若手の多い出演者のレベルに合わせてやさしくしたのかなと思ったが、パフォーマンス自体は質が低下したわけではない。
     
    しかしこれだけパフォーマンス色が濃いと、またぞろ「維新派はダンスだ」などと言い出す手合いが出てきそうで困ったものだ、などと観劇しながら考えてしまった。まあ今回の舞台には特に新しい要素はないので、他のことを考えながら見るくらいの余裕は持てるわけ。それで考えたのだが、ダンスとそれ以外を見分ける指標として、「崩せるかどうか」というのがあるのではないかと思った。ダンスはヒップホップから邦舞まで崩せないものはないが、パントマイムや維新派の動きは崩せない(崩すとそのものと呼べなくなる)。もう一つは、衣装や音楽がない状況で単独で動いて、果たして「見られる」かどうか。維新派のパフォーマーもリハなどでジャージ姿で音なしで動いてみることはあるだろうけど、多分それだけ見てもとうてい鑑賞には耐えないだろう。一方、バレエであれヒップホップであれ、踊りであれば、稽古着姿でさらっと動いても、それだけで、見るに足るものが必ずある。また、それと同じことだが、さまざまなジャンルのダンサーを集めてきて、「ちょっと踊ってみてよ」と言ったときに、そこで維新派動きをやる奴がいたら相当おかしく見えるだろう。踊りとはまずみなされまい。「え? それ何かのマネ? 違うの? あーそう」とスルーされるのがオチだ。結局、維新派動きは維新派の世界という状況を作ってやって初めて成立するものであり、それだけを取り出してダンスであるとかないとか言ってもむなしいのだろうと思う。
     
    関西は関東ほど寒くないが、さすがに夜になると多少冷え込む。200円払って毛布借りればよかった。また、わりと後方の席だったのだが、カメラのシャッター音がうるさくて困った。どうして防音しないのだろうか。10時間かけてやってきて、シャッター音で気が散って舞台に集中できないのはかなり嫌なものだ。関西はアーティストを取り巻く環境は関東よりいいが、観客を取り巻く環境はひどいという印象がある。先日の東野の公演も、廃ビルのどこが会場かもよくわからず、開場が押してもアナウンスなし。不安なまま放置されるのは嫌なものだ。
     
    そうそう、困ったと言えば、今回、劇中で「オルガ〜!」と呼ぶシーンが何度も出てくるのだが、そのオルガは舞台上にいるのが常なので、そのたびに「ここにおるが!」という応答が脳内で再生されてしまって困った。
    posted by cadeau at 23:00| Comment(0) | TrackBack(0) | その他の舞台もの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

    2008年02月10日

    【推薦】空白に落ちた男

    首藤康之出演、小野寺修二振付・演出、ベニサンピット、6,500円と聞くと、イケメンダンサーの追っかけを目当てにした、巷によくある志の低い公演と思うかもしれませんが、いやいやとうていそれにとどまるものではありません。スターを起用しているにも関わらず作品はまるきり「水と油」テイストで、首藤に特に目立つ役回りを与えるということもしません。首藤がここまで他の4人の“一般人”に馴染んで悪目立ちしないとは思いもよりませんでした。

    「水と油」は小野寺を中心にしたパフォーマンスグループ(現在活動休止中)で、パントマイムをベースにしながら、パントマイムともダンスとも異なる独自の領域を開拓しました。ひどくありふれた一人の男が出てきてきわめて日常的なことをしようとするのだけれど、なぜか少しずつ結果が期待からずれてきて、わけもわからず追ったり追われたり、そんな作風です。いわゆる、日常性の中にぱっくり口を開けている裂け目に呑み込まれる善男善女ってやつです。それを巧妙に笑いを取りながら描き出すのです。

    今回の作品は、チケット代が高いだけあってかつてないほど美術が凝っています。床も壁も天井もすべて床で、天井からも壁からも、デスクやシャワーヘッドが生えていたりします。出演者は「水と油」メンバー二人(小野寺と藤田桃子)、女性ダンサー一人(梶原暁子)、男性マイミスト一人(丸山和彰)、男性ダンサー一人(首藤)という構成で、固定した役回りはありません。この5人が入れ替わり立ち替わり夫婦になり、ウェイトレスと客になり、被害者と刑事になります。セリフはありません。まるっきり「水と油」の不思議ワールドです。

    メンバーを見ると、首藤が一番、こうしたパフォーマンス系の演目に不慣れと予想されますが、実際には「水と油」ワールドを最も体現しているのが首藤でした。無駄な力がどこにもないニュートラルな体でそこに存在することができるので、ちょっとした不安やおかしみが雑味なく浮かんできます。マイム系の人たちはどうしても体にこわばりが残り、それをうまく逆用して演技するしかできないのですが、首藤だけはその制限がありません。過去に見た首藤の全パフォーマンスの中でも一、二を争うよい出来です。首藤を「いい」と一度でも思ったことがある人は、これを見ないと一生後悔します。

    ネックになるのは価格で、これが4,800円なら「絶対見ろ」と言えるのですが…。実際の価格6,500円との差は1,700円。映画一本分です。だから、大ハズレかもしれない映画を見る予定がある人には、同じ1,700円をドブに捨てるんならそんな危険な賭けをしないでこれを見た方が賢い時間の使い方ですよ、と言うことができます。ぜひどうぞ。

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    posted by cadeau at 06:37| Comment(2) | TrackBack(0) | その他の舞台もの | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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